森 蘭斎 もり らんさい
   

牡丹図
牡丹図
35.8p×107.8p

元文5年(1740)生〜享和元年9月18日(1801年10月25日)歿
 名は文祥、字を子禎。蘭斎のほかに九江・鳴鶴などと号した。越後頸城郡新井(現在新潟県妙高市)の人。
 同郷の画家五十嵐浚明から画を学んだ。23歳のとき長崎に出て医学を修める傍ら、沈南蘋の直弟子沈熊斐のもとで南蘋風の画法を修め彩色花鳥画を画いた。中国の画家沈南蘋は1731年から2年間長崎に滞在し、中国の画風を日本に紹介した。狩野派が停滞した時期に、南蘋派の動植物や自然を写実的にリアルに描く画法は、日本画壇、特に円山応挙や伊藤若冲、与謝蕪村などにも大きな影響を与えたと言われる。
 師が没すると大坂に出て医を生業としながら画を通じて伊藤東所・片山北海・中井竹山ら著名な文人と交友した。
 『蘭斎画譜』では熊斐から受けた画法の伝授課程を伝え熊斐の小伝を掲載している。
 寛政年間に江戸に移住。儒官林述斎や宇都宮藩藩主戸田忠翰らと交友。とりわけ戸田忠翰とは画の共作を行うほど親しく交わった。加賀藩御用絵師となっている。門弟に金谷三石がいる。
 落款はなく、白文の「文祥之印」、朱文の「蘭斎」の落款印が押されている。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%98%AD%E6%96%8E
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/650.html
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537260
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/chi04/chi04_04304/index.html
http://setoryoryo.blog.fc2.com/blog-entry-65.html
https://kotobank.jp/word/%E6%A3%AE%E8%98%AD%E6%96%8E-16943
http://www.weblio.jp/content/%E6%A3%AE%E8%98%AD%E6%96%8E


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